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会員の方々からのメッセ−ジです。 (敬称略、順不同)

三富重子さん 我が家の猫騒動 さいたま市緑区在住



 平成18年の10月頃から、生後2か月くらいの子猫6匹が我が家の前の道路に出てきて遊ぶようになり、それが我が家の前の駐車場へ移動し、お腹をすかせて餌をねだってくるようになりました。なんとか捕まえて避妊・去勢手術をしなければまた増えてしまいます。手なづけてとらえようと簡単な気持ちでいたら、おっとどっこい! 相手はつわものぞろいの野良猫で、そう簡単にはつかまりません。
 保健所への申請も通って手術の補助金も受けられる見通しなのに、2か月過ぎてもつかまえることができません。ナンデモ屋さんに頼んだら足元を見られるし、周りの人たちにまで文句を言われて一人で悩んでいたところ、ご近所の岩崎さんが助け船を出してくださり、手術を担当してくださるY動物病院の先生も、猫をつかまえたらいつでもつれてくるようにと言ってくださいました。
 あとは猫の捕獲のみ。そんなときに代表理事の野田さんからお電話をいただき、

(会からの餌のマナー)
 猫を保護するために毎日決めた場所に決めた時間に餌を置き、餌を食べる猫から少しはなれたところにしゃがみこみ待つ。食べ終わったら掃除をする。餌を食べる猫との距離を少しずつ狭めて猫を安心させる。2〜3週間位の後に捕獲して獣医師に連れて行く。
 この様な行動で地域の方々も少しずつ理解をしようとしてくださいます。
ゲージをお借りできることになったのでさっそく実行です。
 3匹はあっけなくつかまり手術を完了したのですが、残った1匹がなかなかつかまりません。ところが、なんという幸運! 何年も野放しで、誰にも背を向けて子どもばかり生んでいた親猫が、身代わりのようにゲージに入っていました! さっそくこの親猫をY病院へ連れて行ったところお腹に7匹の子が入っていたのがわかり、びっくり仰天でした。
 岩崎さんと手を取り合って「大役を果たした」と喜びました。が、残った1匹は中猫になってきて、知らない間に子猫を生んでいました。いつのまにか親子ともども姿が見えなくなり、心配ではありますが、私の心境としてはホッとしています。
現在、餌を食べに来るのは親猫1匹だけとなりました。この猫に、地域猫として安心できる余生を送らせてあげたいというのが、私の今の心境です。

三富重子さん 我が家の捨て犬 さいたま市緑区在住

(現在のタケ雄)

(6年前のタケ雄)
 推定年齢5歳くらいの雄犬が、近くの竹の子公園に鎖でつながれて捨てられていました。2ヶ月くらい餌を求めて徘徊し、棒で叩かれたり、石を投げられたりして人間不信になり、寒さと飢えにおびえていたところを私と出会いました。
餌をあげようと心に決めて、「お家においで」と言うと素直についてきて、もう6年が過ぎました。
 竹の子公園にいたので、名前をタケ雄とつけました。夫は初め、タケを飼うことには大反対でした。我が家にはすでに13歳の柴犬がいたからです。しかしこの柴犬がタケのことを何かとかばってくれていました。その柴犬が16歳で脳梗塞を病み、死んでから寂しくなったのか、夫も心を開いてくれてタケを可愛がるようになり、最近では4歳になった初孫と朝晩一緒に散歩に行っております。
 余談ですが、タケを拾ってから2年ほどして初孫が生まれた時、本当にこの世には神さまがいて、この孫を授けてくれたのではと思いました。孫と一緒に生きて行かれることを素直に感謝せずにはいられない今日この頃です。

藤代朱美さん 里親捜し
藤代朱美さん 私は子猫や慣れた成猫を保護したら、里親捜しをしています。猫が欲しい人なら誰でも・・・と、いう訳ではありません。申し訳ないのですが、里親さんを選んでいます。
せっかく保護した子を、不幸にしてしまうなら最初から保護しない方がいいと思っています。
遠くても必ずこちらから、里親さん宅にお届けしています。その時・・・お任せする気になれず、そのまま連れて帰ってきた事もあります。ず〜と、お付き合いしていけそうな里親さんに、お願いしています。
後は、*不妊・去勢手術に同意して下さる方。*完全室内飼いの方。*留守番時間が短い方。などです。
それから申し訳ないのですが、高齢の方はお断りしています。その子の一生を決めてしまうのですから、里親捜しの責任は重大なのです。

清水和枝さん 君たちのおかげで



我が家は現在、人2、犬4、猫4の大家族。
で、順列2位(?)の私はつい最近から、フルタイムの勤めにでている。
何故って?
人以外の彼等の生活の保障、イレギュラーで必要になる野良ちゃんの不妊手術代、そして自分自身の経費、その他諸々。
4月5日は大変だ。
狂犬病、フィラリアの予防注射、ワクチン、なんとかならんかね。
君達、まだ食うの?旅行にもいかれないよ。
散歩?ハイハイ。勝手に行ってよ(駄目?)愚痴を言い始めたらきりがない。
でもね、母は思うのだ。
君達のお陰で人としていい生き方を見つけられ、歩いているように。
本当は救いを求めている君達の仲間や、全ての生き物を助けてあげたい。
そうゆう事が当たり前の世の中がくるように、頑張らなくちゃ!と。
そして、同じような思い、意識を持つ友人とも出会い、何よりの心の財産が得られて人生得した気持ちなのだ。
疲れ切って寝て、また明日もニャンのご飯(ノラちゃんも含めて)、ワンとの散歩から一日が始まる。

土屋直子さん 猫に教えられて



土屋直子さん
最近新聞やテレビでは眉をひそめるニュースばかりである。
つい先日も16才の少女を実の母親が食餌を与えないで餓死させたとか。
その前も19才息子にやはり食餌を与えないで餓死させたとか・・・
そうゆうニュースを聞く度にいつも思いだされるのが別所沼公園の黒いオス猫とその(母親)親子である。
それは、4・5年前のことだった。
秋、私が銀杏を拾っていると後から私のお尻にドンとぶつかって来てニャ〜ンと言った猫がいる。
振り向くと茶色に黒のまだら模様で尻尾の短いメス猫だった。
「アラッ〜」と言ってその時はただ頭を撫でてやった。
くねくねと「8」の字を書いて甘えるなつっこい猫だった。
翌朝も、【あの猫はいるかしら」と小さな缶詰を1缶もってあの場所にいった。
やはりいた、缶詰を与えると美味しそうに食べた。
次の日も、また次の日も・・・
そんなある日、公園内のドームの前にコンクリートで出来た円い直径1メートル30センチ位の大きなフラワーポットがあり、その中心が30センチ位えぐれて、そこに落ちた葉がたまっていてとても暖かそうな場所がある。
その中にあの猫ともう1匹黒い猫がいた。
「アラ〜お友達も一緒だったのー」と言いながら、お皿を2つにして食餌を与えた。
そうしている内ある事に気がついた。
いつもお皿は2つにしてそれぞれに与えている。
黒い猫の方は「待っていた」と言わんばかりに、とても美味しそうに食べるのに、もう一方の茶色の方はほとんど食べない。
「他の人からいただいてもうお腹が一杯なんでしょう」と思い、黒い猫が食べ終わったところで2つのお皿をかたづけようとすると「チョット待って!」とでも言うように、いままで食べなかった自分の分を食べ更に黒猫の残した分まで食べてしまいました。
そんなにお腹が減っているのにどうして、一緒に食べなかったのだろう、お皿も別々にしているのにと不思議に思っていました。
後から別所沼会館のお仕事をしている女性の方から「あの2匹は親子なんですよ、子供の猫が食べている時は自分がどんなにお腹が空いていても食べません。
子供が食べ終る迄ジッと待っているんですよ・・・」と言う話を聞きました。
人間に畜生と言われている猫でさえ、自分の子供をこんなにも大事にしているではないか。
子供を餓死させた親に「この母親を見なさい!!」と大声で言いたい気持ちで一杯です。
3年前の2月黒い猫はいなくなりました。
そして母ちゃん猫もしばらくしていなくなりました。
「どうしたんだろうあんなに元気だったから病気で死ぬはずはないし」と心配しながら4〜5ヶ月が過ぎました。
ある日母ちゃん猫が同じ場所にひょっこり現れました。
首に虎の模様の首輪をして・・・。
住所が決った事を私に報告に来てくれたのです。
私もホッとして、それから2年が過ぎました。
今年も又銀杏を拾っていると植え込みの中に猫の気配を感じ呼んでみるとすぐにそばに来ました。
2年前の母ちゃん猫に似ているけど一回り大きい感じ・・・
首輪を見ると間違いなくあの時の母ちゃん猫です。首輪がビシッと窮屈そうでした。幸せ太りでしょう。
「新しいおうちで可愛がられてるのね!!幸せそうで良かったね」毎日の生活の中に、手を伸ばせば届くところに生き物がいてくれるだけで温かな気持ちになる。飼う、飼われる以上の交流が生まれたとき、私達は人生が鮮やかに彩られていることに幸せを感じる。

今野政子さん ホームレスが育てた猫
当時公園にはホームレスがおおぜい住んでいました。
その内の1人が子猫を自分の懐に入れて食餌を分け与えて立派に育てていましたが亡くなってしまいました。
それで、その後は私共が公園で食餌を与えています。
おっとりした可愛い猫なので「ビナシン」という名前を付けて皆で可愛がっています。
この頃は脳軟化症なのか食餌を与えるといくらでも食べます。
でも公園の人気モノです。

今野政子さん 前足が切断で捨てられた猫
前足が3分の2ほどのところで切られて捨てられた猫のことです。
骨まで丸見えで、自分で傷口を舐めますが、傷口に土がつくのでなかなか治らずとても痛そうでした。
見かねた鈴木さんが医者に連れてゆきました。
手術の結果、肉も盛り上がり毛もはえてきて、チンバながら普通の生活が出来るようになりました。
名前も「チャーコ」とてけて、みんなに可愛がられ、子供達にも頭をなでられたりとても人気者でした。
そのうち食欲が無くなってきたので、医者にみせたら、血液検査の結果【猫エイズ」分かりました。
薬を飲ませたり、とても手のかかった猫でしたが残念なことにいつの日からか姿が見えなくなりました。

鈴木千枝子さん 別所沼公園と私



鈴木千枝子さん
私が公園参りを始めて30年近くになります。
春夏秋冬余程のことがないかぎり決めた時間(5時30分)に行きます。
動物の朝食くばりです。
沼がありますので、あひる、鯉、寒くなると鴨が沢山飛んでくるので餌やりがひと仕事です。
30年も続けていますと、人との出会い、動物との出会いいろいろありました。
沼の中央に弁天島があります。
20年前の話ですが、杜の中に三毛の子猫が捨てられていました。
名前を「みーや」とつけてやり、杜の中に段ボールで小屋を作り、寒くなるとホカロンを入れてやり、皆さんで可愛がっておりました。
参拝の方がみえますと、「ニャ〜ン」と鳴いて挨拶をしに出てきます。
昼間はお供え物の間で寝ておりました。
それはそれは可愛い姿でした。
ネズミ捕りの達者な猫で島にいた野ネズミを全部取り尽しました。
弁天様への恩返しだったかもしれません。
島から一度も離れたことはありません。
私達も80才近くなり体調が悪くなったので20年近くやらせていただいた弁天様のお世話をやめる決心をいたしました。
それを察したのか、朝「みーや」と声をかけても出てきません。
箱の中を見ると眠るように亡くなっておりました。
前日まで元気でおりましたのに、私は号泣しました。
「みーや」は弁天様の守り神だったのかと思います。
今だに忘れることが出来ません。
30年の間には、何匹の捨て猫を家に連れて帰り育てたかわかりません。
昨年の春公園で生まれた子猫2匹の里親になり、ミルクから育てました。
黒猫で尾は長く、目が大きく見るからに利発そうな猫です。
1匹はすぐに良い方に貰われて行きました。
残った猫は「イチロー」と名前をつけ私の家の猫になりました。
今まで飼った猫と違い元気が良すぎて家中がボロボロになりました。
飼い猫とわかるように赤い首輪をさせ「スズキ」の名前を入れました。
朝公園に行く時は必ず自分が先に走ってゆき、私が帰るまで走り回り遊んでおります。
いまではイチローは別所沼公園のアイドルです。
家に着きますと、自分の寝箱にさっと入ります。
私もよる年波には勝てません、里親になるのもイチローが最後になると思います、イチロー長生きしてくださいね。

山賀初代さん 会員になって
私はこの会に出会って日がまだ浅いのですが、多くの方々がいろいろな形で、活動している事を知りました。
我が家の猫がいなくなって探し回っている事がきっかけで、野良犬、野良猫に出会いました。
“なぜこんなに沢山のかわいそうな動物が”から黙っていられなくなりました。
テレビ等で次々とペットの悲惨な事件を見たり、又やさしい人達の事も知り、なんとかテレビ等の力で多くのかわいそうな動物達を救って欲しいと思います。
特に悪質なブリーダー、ペットを安易に捨てる飼い主は許せません。
この会を通して少しでも動物達の力になれたらと思います。

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